春分。いよいよ春です。
(2007年3月21日春分執筆開始、翌日脱稿、同年4月20日穀雨訂正)


今日は、春分日です。
ゆえに、春分の日でもあります。


「春分日」というのは、天文学上の概念で、
春分点という天球上の点を視太陽が通過する瞬間(「春分」)を含む日のことです。
「春分の日」とは祝日の名称であり、「国民の祝日に関する法律」(いわゆる「祝日法」)によれば、
「春分の日」には春分日を採用するとされています。
正式には、国立天文台の計算をもとにした「暦要項(れきようこう)」が
前年の2月1日の官報に掲載されることによって、「春分の日」が決定します。
#前年2月1日が行政機関の休日であれば、翌日以降の官報に掲載されます。

ちなみに、春分点というのは、黄道(地球から見た太陽の通り道)と
天の赤道(地球の赤道を地球の中心から天球上に投影した線)との2つの交点のうち、
地球から見て太陽が南から北へ移動するときに通るほうの点です。
天球上の座標としてよく使われる、赤経と赤緯も春分点が基準になっています。

このあたりの説明は、天動説の名残をひきずっているような気もしますが、
そこのところは、気にしないでやってください。

もっと詳しい説明は、国立天文台のサイトの中の、
質問3-1) 何年後かの春分の日・秋分の日はわかるの?』や、
Wikipedia の『春分の日』の項目も、ご覧下さい。

Wikipediaの内容が変わっていたら、
Wikipediaの 『春分の日』の2007年1月11日版の固定リンク も、ご覧下さい。



上記のサイトによると、
今後数十年の間は、春分日は3月20日か21日で、少しずつ3月20日が増えるようです。
#2023年までは、20日と21日は4年間に2回ずつ。
#2024年からは、4年に3回は20日で、21日は4年に1回。
2056年からしばらくは、ずっと3月20日が春分日です。
さらに2092年と2096年には、3月19日が春分日になるそうです。

ついでに、過去をさかのぼると、
1960年から1989年までは、4年に3回が21日で、20日は4年に1回。
1924年から1959年までは、全て3月21日。
1903年から1923年には、4年に1回は3月22日が春分日だったそうです。
#1947年までは「春分の日」ではなく「春季皇霊祭」という祭日だったそうですが、
#ここでは、あくまでも「春分日」の話をしているので、そこは気にしなくともいいでしょう。


こんなことを書いてると、春分日がどんどん早くなって、
23世紀前半あたりには春分日が3月18日の年とか出てくるのでは、
などと考える人もいらっしゃるかもしれません。

でも、ご心配なく。
今の暦では、2100年は閏年ではないので、
2100年代初頭は、2000年代末より春分日が1日後ろへずれます。たぶん。

え?「2100は4で割り切れるぞ!」って?
でも100で割り切れますよ。
え?「2000は100で割り切れるのに、2000年は閏年だったぞ!」って?
そりゃそうでしょう。2000は400で割り切れますから。

今の暦(いわゆる「グレゴリオ暦」、または「グレゴリウス暦」ないし「グレゴリ暦」)では、
西暦が4の倍数であっても、例外的に、西暦が100の倍数なら平年(閏年ではない年)です。
だけど、西暦が400の倍数だったら、例外の例外で、閏年です。
#日本ローカルで言えば、「西暦」ではなく
#「神武天皇即位紀元」(「神武紀元」「皇紀」とも言う)が4で割り切れるか、
#「神武天皇即位紀元から660を減じた数」が100や400で割り切れるか、
#と言う方が正確なのでしょうが、内容的には同じです。
#詳しくは、「明治31年勅令90号(閏年ニ関スル件)」を探して見て下さい。
#Wikipedia の『 閏年 』の項目
#もしくは、その2007年3月20日版の固定リンクにも、掲載されています。
よって、西暦2000年は閏年でしたが、1900年は平年でしたし、2100年も平年の予定です。

つまり、実際の1太陽年(「春分」の瞬間から翌年の「春分」まで)は、
一般に多用される値としては約365.2422日です。
もう少し「正確な」値として、各種のサイト、
例えば「こよみのページ 」の中の『将来の春分日・秋分日の計算』など、
において紹介される値としては、「365.2421904日」とのことです。
#この「365.2421904日」という数値には、疑問の余地もあるのですが、とりあえず保留。
これに対して、4年に1回(というか400年に100回)の割合で閏年を入れるというのは、
1年を365.25日として扱うことになります。
そうすると、約130年に1日の割合でずれていきます。
1900年3月から2100年2月までに限定して考えると、
春分日がどんどん前へずれるのは、そのためです。
#後述の「ユリウス暦」の場合も同様です。

ですが、グレゴリオ暦では、閏年は400年に97回しかありません。
1年を365.2425日として扱っています。
そこで、「ずれは、約3200年に1日です。」と、言ってしまいそうです。
∵ 1/(365.2425-365.2421904)=1/0.0003096≒3229.9741602

でも、斉田博著『天文の計算教室』(地人書館) の56頁によると、
1900年の年初からt年後における1太陽年の長さは、
(365.24219878-0.0000000614t)日だそうです。
#べき乗の概念を知らない人にもわかるように表記を変えてあります。
この式(数学的には「式」という日本語は不適切かもしれませんが...)を見ると、
1太陽年の長さが少しずつ短くなっているようにも見えますが、
潮汐作用などにより地球の自転が遅くなって1日の長さが長くなっていることの方が
大きいような気がします。
ちなみに、この式による1太陽年の長さと、グレゴリオ暦の1年たる365.2425日との誤差は、
少しずつ拡大しています。
#なお、同書においては、1976年(の年初?)における1太陽年の長さは、
上の式にt=76を代入して得られた値(の概数)である365.242194日とされています。
#電網界には、この数字を用いたとおぼしき、掲示板の書き込みもあるようです。
#いちいちリンクしませんけど。
同書によると、上の式をもとにすると、
西暦1900年から約2620年後(つまり西暦4520年頃)に、
西暦1900年からの累積誤差が1日になるそうです。
さらに、1万年後には約6日の累積誤差になる計算になるとのことですが、
同書も、上の式は厳密なものではない、としています。
途中の計算式は、自分で考えるか、同書を参照して下さい。
#ちなみに、上の式によると、1太陽年が365.2421904日になるのは、2042年の年末頃になります。
#別の根拠による数値なのか、←同書も内容的に少し古い本なので有り得ること
#何らかの理由でそんな先の数値を用いた人がいたのか、
#単に「...194」を「...1904」と誤記した人がいて、その数値が独り歩きしたのか。
#それは、私にもわかりません。
#私がさっき「疑問の余地もある」と書いたのは、そういうことです。

ちなみに、2100年3月から2400年2月だけに限定して考えると、
閏年が100年に24回しかない状態になります。
あたかも、1年を365.24日として扱うのと同様になります。
この間は、前述の約130年で1日ぶん春分日が前へずれようとする作用よりも、
西暦が4の倍数であるにもかかわらず閏年にならずに
春分日が1日ぶん後ろへずれる年が百年に1回あることの効果の方が強いので、
その三百年(特に2100年3月から2300年代初頭の二百余年)の間を
全体としてみると、春分日は後ろへずれます。
#1900年代の初めに春分日が3月22日の年があったのと同様です。

結論的には、上の式を鵜呑みにすると、今後あと千数百年くらいは、
春分日は3月19日から22日だと思います。


では、3月18日が春分日になるのはいつでしょうか。

まず、3月19日が春分日になるのは、1700年から2400年まででは
2090年代の2回(2092年と2096年)だけだと思われます。
#この時期(西暦で400の倍数に96や92を足した年)は、400年に3回あるはずの
#「西暦が4の倍数であるにもかかわらず閏年にならずに
#春分日が1日ぶん後ろへずれる年」が200年近くなかったために、
#春分日が極端に前へずれやすくなるのです。

ですから、西暦1900年から2600年余りで春分日が1日ぶん前へずれる計算になるといっても、
3月18日が春分日になるためには、2092年や2096年のような極端に前へずれた年から
さらに1日ぶん前へずれないといけないので、
西暦2092年や2096年のさらに2400年後か2800年後、
つまり西暦4492年とか4496年とか4892年とか4896年とか...?
遅くなると、3200年後の西暦5292年とか5296年あたりでしょうか?
早くても、2000年後の4096年とかですか?さすがに4092年は厳しいか?
#4092年より4096年の方が春分日が前へずれやすいことは、
#説明するまでもないでしょう。

もっとも、数千年後の春分日は、かなり厳密に計算してみないと確かなことは言えません。
また、地球の自転速度などは不確定要素も多いみたいなので、
遠い将来の厳密な計算をすることはできないのかもしれません。
ですが、かなり長生きしないと、3月18日に春分日というのは、厳しいようです。
#悲観的な人からは「3月19日も厳しい」と言われそうですが。
もっとも、それは日本国などという東洋の島国にいるからで、
もっとずっと西の国に行けば、春分日の日付は前へずれやすくなります。
#「春分」の瞬間に日本時間で21日なのにアメリカ合衆国(の本土)では20日、
#という事態は、今後数十年の間に、時々あると思われます。
あ、「島国」ってのは、ここでは関係しません。
韓国(の本土)は大陸の一部ですが、状況は日本国と同じです。
日付変更線の少し東側の、東太平洋の島国とかアラスカなどでは、
あと千数百年で、3月18日が春分日になるかもしれません。

逆に、3月22日の春分日を祝うには、日本国は比較的有利な位置にあります。
とはいえ、2090年代に3月19日の春分日が出るのですから、
2100年を平年にしたくらいでは足りず、
2200年の平年を経た後で、西暦年数の4での剰余が3になる、西暦2203年だと思います。

え?「3月23日は?」だって?
「日本では、たぶん数十万年後くらい」だと思います。
#3月23日は、3月18日の360日前ですから、上の式を鵜呑みにすると、
#あと1万年で6日の累積誤差が生じたとして、その後も誤差の生じるペースは速くなっていくのだから、
#360/6*10000=600000(年) よりは短い、ということになります。
#ですが、もう、上の式を鵜呑みにできなくなっていると思われます。


但し、2100年以降(と1899年以前)の春分日については、
1900年代と2000年代の春分日をもとに、
私の頭の中で大雑把に計算しただけですので、「たぶん」です。
私が勘違いしてましたら、あしからず。
しっかり計算したい方は、「こよみのページ 」の中の、
将来の春分日・秋分日の計算』に
2000年から2099年までの計算法が書いてありますので、
そちらの記述をもとに「一ひねり」して下さい。
同じサイトの『世界一単純かもしれない、春分/秋分計算(投稿者:NTJ会長さん)』にも
別の計算方法が掲載されています。
#いずれは、これらの計算方法を実行するプログラムを作ってみたい気もする。
#初めて使う開発言語(ないし開発環境)の練習にも、ちょうどよさそう。
でも、数千年後とかは「一ひねり」では足りないような気がします。


ちなみに、前出の、Wikipedia の『 閏年 』の項目
もしくは、その2007年3月20日版の固定リンクには、
西暦が4000の倍数か10000の倍数である年を例外の例外の例外として平年とする、
つまりグレゴリオ暦より閏年を2万年に6日減らし、
1年を365.2422日(前述の一般的な概略値と一致!)と扱う考え方を紹介しつつも、
地球の公転周期や自転周期の変動を理由に、
かかる補正の適否については保留する記述となっています。
上の式からすると、もっと補正を加えていかないといけないし、
#将来的には、どんどん補正が増えることに...。


でも、そういう何千年も先の未来の地球人類にとって、
総人口の何割かが他の星に植民していれば、
地球の春分日を暦の基準にする意味は希薄になっているでしょう。
逆に、数千年後においても、他の星に植民しうるだけの科学技術も持たずに、
地球にへばりついてしか種の存続を図れない、
そうした、か弱い存在であるとしたら、
それは暦の誤差よりも深刻な事態なのではないでしょうか。



ところで、実は、グレゴリオ暦の制定の経緯も、このような春分日の変化と関係があります。
キリスト教の祝日に「イースター(復活祭)」というのがあるそうですが、
イースターは「春分後、初めての満月の直後の日曜日」だそうです。
つまり、春分がいつであるかは、イースターの日付の決定に関わります。
そこで、325年のニケーア公会議(または「ニカイア公会議」、つづりは"Nicaea")で、
「春分の日は3月21日」と決められました。
#ここでいう「春分の日」とは現代日本の祝日法のものではないですよ。

ですが、当時の暦であるユリウス暦は、閏年が4年に1回(400年に100回)ある、
1年を365.25日して扱うものでした。
よって、天文計算上の春分日は、どんどん前へずれていきます。
#グレゴリオ暦を採りつつも、1900年3月から2100年2月までに限定して
#考えた場合と同様です。
16世紀後半には天文計算上の春分日が3月11日頃になっていたそうです。

そこで、ニケーア公会議の建前に合わせるべく、改暦を行うこととなり、
1582年10月4日の翌日を10月15日とすると共に、
閏年を400年に97回に減らすことになったのです。

その辺のいきさつは、「こよみのページ」の中の、
グレゴリウス暦への改暦・1600年ぶりの大改革』に詳しいです。

ちなみに、カトリックの影響の弱い地域では、グレゴリオ暦の導入は遅れました。

例えば、日本では、1872年に出された「太政官達第337号」により、
1873年からグレゴリオ暦が導入されたことになっています。
#厳密には、前出の「明治31年勅令90号(閏年ニ関スル件)」が出るまで、
#ユリウス暦みたいに4年に1回も閏年があるという置閏法になっていたのですが、
#「1900年2月28日の翌日」になって実害が出る前に、1898年に勅令で修正したわけです。
#そのあたりの話は、「こよみのページ 」の中の、
#『明治改暦の周辺事情・国家財政の危機?』に書いてあります。

また、ロシア革命(1917年)の「三月革命」と「十一月革命」のことを、
それぞれ「ニ月革命」と「十月革命」と言ったりすることがあります。
これは、ロシアでは十一月革命までユリウス暦が使われていたことによります。
#「三月」「十一月」はグレゴリオ暦で、「二月」「十月」はユリウス暦です。




本当は、春分の日(と秋分の日)、もとい、春分日(と秋分日)は、
昼が夜よりも長いという話も書きたかったのですが、
長くなりましたし、それは、またの機会に致しましょう。
実は、『 立冬、秋真っ盛り。 』でも、ちょっと触れてます。

「彼岸の中日」に昼が夜より長いと言われても、にわかに信じられない、という方は、
国立天文台のサイトの中の、
質問3-3) 春分の日・秋分の日には、昼と夜の長さは同じになるの?』や、
海上保安庁海洋情報部のサイトの中の、
「春分の日」昼夜の長さは、同じではありません』を、ご覧下さい。


また、この文章のタイトルからは、
春分こそが、冬と春の境界としてふさわしいことも書くべきなのでしょうが、
秋分にて。 』に書いたことと重複するので、もういいでしょう。


ちなみに、この文章は、2007年の穀雨の日(2007.4.20)から翌日未明にかけて、
かなり訂正してます。
訂正前の文は、1太陽年=365.2421904日という、今となっては少し疑問の余地もある数値に
踊らされて(?)かなり間抜けなことも書いてます。
#グレゴリオ暦の「ずれは、約3200年に1日です」とか書いてるし。
万が一、それを読んでしまった方は、どうぞ忘れてやってください。
#...と書きつつも、いまだに、途中の計算ミスが怖かったりします。



最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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