韓国大統領の「北」訪問

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各種報道によりますと、大韓民国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)
大統領が、「北」を訪問しているそうです。

NIKKEI NETの該当記事へのリンクを張ります。
ウェブ魚拓によるキャッシュはこちらです。

で、「将軍様」と称される「北」の世襲の首魁と会談するそうです。
#ところで、この「将軍様」って、「征夷大将軍」のことでしょうか?
#だとすると、ここで、「征」の対象とされる、
#「夷」(東方の異民族)って、どこの民族なのでしょう?
#「幕府」が平壌にあるわけだから、その東。
#アメリカ合衆国は遠すぎるよなぁ、多分。

ところで、近年の韓国の「北」に対する政策のことを
「太陽政策」とか「ゆうわ政策」とか言うそうです。
テレビや新聞などでは、この「ゆうわ政策」の漢字表記について、
「融和政策」という表記を使っているようです。

しかし、私の頭の中の「かな漢字変換機能」では、
韓国の「北」に対する「ゆうわ政策」については、
宥和政策」と変換してしまいます。

「宥和政策」という単語を知らない人のために、
村川堅太郎・江上波夫 他編 『世界史小辞典』
(山川出版社、昭和63年8月1日 第2版31刷発行)から
引用しておきます(改行位置・読点などは変更)。
この項目の執筆者は、斉藤 孝 氏とのことです。

宥和政策 Appeasement Policy
>宥和政策とは一般には和解政策・妥協政策ともいうべき意味で
>あるが、歴史的には第二次世界大戦前史において、ナチスにたいして
>イギリス・フランスがとった妥協政策をさしている。イギリス・フランスは
>ナチスの侵略的政策に屈して、小国を犠牲とし国際民主主義を
>蹂躙して一時的な平和をえようとしたが、ヒトラーを増長させて、
>結局第二次大戦を招くことになった。 ミュンヒェン会談は
>この宥和政策の頂点として知られている。第二次大戦後の
>アメリカでは、この言葉はソ連邦にたいする妥協政策を非難する
>意味で用いられることが多い。

「ミュンヒェン会談」は、「ミュンヘン会談」という表記の方が
一般的かもしれません。

ついでに、「宥和政策」について、ネット上の辞典・事典でひくと、
「goo辞書」ではこちらで、「Wikipedia」ではこちらです。

「宥和政策」の語義の説明はそのくらいにして…。

そういえば、金大中(キム・デジュン)大統領(当時)が平壌を訪問してから、
2回連続で韓国大統領が「北」を訪問してますね。
これは、「北」を対等な交渉相手として扱うとしても、かなり異例なこと。
本来は、今度は「将軍様」がソウルに行く番だったはず。
これではまるで、「北」が韓国の宗主国で、
韓国大統領が「将軍様」に拝謁したという形。

もっといえば、本来は、経済支援という「施し」を受ける立場の側の首魁が、
2回連続でソウルに出向いて、大韓民国大統領閣下への拝謁を
願い出るべき。

「なめられてる」と言われても、あれではしかたないかも。

なめられても、それに見合う外交上の成果があがれば
いいのかもしれませんが、さて、どうなることやら。

末筆ながら補足しておきますと、この投稿において「北」とは、
「大韓民国の領域の一部を不法に占拠し、
 『朝鮮民主主義人民共和国』を僭称する勢力」のことです。
「北朝鮮」あるいは「北鮮」とも表記されます。

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このページは、村瀬 泰一が2007年10月 3日 23:45に書いたブログ記事です。

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