必修科目未修について(壱)

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学習指導要領上は必修とされる世界史が、
一部の高校において未修(履修漏れ)であることが判明したそうです。

こちらに、NIKKEI NETの該当記事へのリンクを
張っておきます。
#数ヶ月で消されると思いますが。
おいたのですが、リンク切れのようです。
代わりに、NIKKEI NETの続報記事(11/22付)へのリンク
張ります。
続報記事のウェブ魚拓によるキャッシュは
こちらから閲覧できます。

このような事態が発生した、最大の原因は、
小中学校で勉強させる範囲を削ったことにあると思われます。

私自身、地元の公立中学を出て、
地元では進学校とされている県立高校
(東大合格者の県内高校におけるシェアは8?9割)に
行ったのですが、
中学卒業からわずか3年では、
大学入試レベルの学力をつけることができず、
現役の時の大学入試では、ことごとく不合格でした。
#「ことごとく」と言っても1校しか受けてませんが。

私が中学の時と比べると、今の公立中の生徒が
習う範囲は削減されているそうです。
が、それにもかかわらず、
大学入試に要求される学力水準は
さほど違わないようです。

少子化で大学全入とかいう話も聞きますが、いわゆる
難関大学はそれほど易しくはなってないのでは、と思います。

しかも、「ロースクール」とかいう、例のおぞましい制度の
導入に際して、東大文科一類(文一)の定員が
3分の2(600→400)に減らされました。
これを引き金に、いわゆる難関大学の文系は、
難易度が上がっているものと推察いたします。

以前なら文一に行けた人が文二・文三・
一橋・早慶へ行き、で、文二・文三・一橋・早慶に
行けたはずの人が、別のところへ...。
#まぁ、早稲田は定員が多いから、東大文一の
#定員減の影響も限定的かもしれないけど、
#一橋の法学部あたりは東大文一受験回避組が
#100人でも流れて来たらどうなることか...。

例のおぞましい制度のことはさておき、
いわゆる難関大学の入試は易しくなってない、
ということでしたね。

そこで、関東や近畿に多い有名私立中高一貫校は、
中高の6年を適切にペース配分して
大学入試に臨んでいます。
これに対し、地方の公立の進学校(および、地元では
進学校とされている高校)では、
中学の間は遊んでおいて高校の3年間だけで
追いつかねばならないわけです。
#中学で高校入試の受験勉強をかなりした人も
#いるだろうけど。

しかも、地方の公立の進学校(および、地元では
進学校とされている公立高校)では、
地元出身の優秀な生徒(あるいは、優秀とまでは
いかなくとも、ぼちぼちできる生徒)を
いわゆる難関大学へ合格させることが、
地域に対する社会的使命とされています。
#私の母校でも、東大合格者が9人に減った時には、
#地元のマスコミが騒ぐ社会問題になりました。
#その年の4月の人事異動で、
#校長先生が異動されたのは、
#これと無関係だったとは私には思えないのですが。

はっきり言って、公立中学卒業レベルから、3年で
大学入試レベルまで自分の学力を上げるのは、
やったことのある人ならわかるでしょうが、
よほど優秀な人でない限り、
かなり大変だと思います。
ちなみに、前述のとおり、
私は3年では大学入試レベルに到達できず、
4年かかってます。

高校の時の勉強量が少なかったという説も
ありえますが、それでも、高1時だけで
中3時の数倍は勉強したと思います。
#つまり中学では遊びすぎてたわけですが。
だったら中学のうちから自分で先取り学習してろよ、
という方もいらっしゃるでしょうが、
私の場合、それをやりすぎてたら、
教科書レベルの易しい問題でケアレスミスの少なさを
競う公立高校入試問題では、玉砕してたと思います。

あの当時であれだけ厳しかったのですから、
今の中学のカリキュラムで、公立中学卒業から3年で
大学入試というのは、本当に厳しいことで、
その歪みが今回の「事件」を起こしたと思われます。

でも、だからといって、大学入学に要求される学力水準を
下げるべきとも思えません。

そうかといって、私立高校に行かないと
難関大学に行けないということは、
絶対にあってはならない
ことです。
その理由を書き始めたら長くなりそうなので、
かなり割愛しますが、
つまりは、公立の小・中・高からでも
難関大学へ行けるようにすることは、
平等(「機会の平等」でも「結果の平等」でもない
「競争条件の平等」)な社会の実現に
重要な要件であるということです。

公立の中高一貫校というのは一つの考え方
なのかもしれませんが、
公立の中高一貫校が進学重視になることへの批判に
配慮しすぎて受験指導が普通の公立並みになると、
その長所は減殺されます。
#それに、小6で中学入試の受験勉強というのも、
#いろいろと弊害がね...。
#かといって「人物重視」とか言い出すと、
#一歩間違えるとコネ重視に...。

従って、解決策は、中学までで(公立小中学校で)
教える内容を増やす、ということになります。

確かに、勉強について行けない小中学生が
増えるかもしれませんが、それはむしろ小中学校での
基礎的事項の反復演習量を増やすことで補うべきです。
#ちなみに、今の小学校で「教科書」と
#呼ばれている冊子は、私には
#「パンフレット」に見えてなりません。
#写真がほぼ毎ページにあって、
#練習問題の類はほとんどありません。
#私が小学生の頃は、算数の時間の授業中に、
#教科書の練習問題だけでなく、計算ドリルとかも
#やらされた覚えがあるのですが。
#国語の時間の授業中に漢字の練習とかも...。
#でも、最近の小学生には、そういう経験が
#欠如しているようです。
#ちなみに私は地方公立小の出身です。

それでも、ついていけない生徒は、
かわいそうなのかもしれませんが、
だからといって、そういう生徒に合わせて
護送船団を組むべきではありません。

さもなければ、親に経済力がないとか、あるいは、
親の転勤先の公立に転校せざるをえなくなった、
といった事情から、
能力はあるのにいわゆる難関大学への途が
厳しくなる生徒が出てくるからです。
そんなことで、社会的成功を収める可能性を
制約されたのでは、本人の能力不足で
勉強についていけない生徒より、はるかに
かわいそうです。
#東京の公立小中には、そういう生徒が
#いったい何人いることやら...。

そういう観点からは、公立中にも習熟度別授業を
もっと認めるべきかとも思えるのですが、
その話に入ると長くなるので、ここでは割愛します。

難関大学を出たから社会的成功を収めるとは
限らないというのは、
私のごく身近に具体例が多分いるので、
ここでつっこみ入れないで下さい。
あくまでも社会的成功の可能性の大小の問題です。
#社会的成功を収めることがそんなに大事か...
#とかいう話になると、
#もはや哲学とかの域に入ってしまうので、
#ここでは割愛します。

以上、脱線の多い支離滅裂な文でしたが、
要は、小中学校での勉強の範囲・量を
拡大すべきということです。

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このページは、村瀬 泰一が2006年10月26日 05:10に書いたブログ記事です。

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