JAPA i N

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英エコノミスト(The Economist)誌が、
「JAPAiN」という特集記事を組んだそうです。

言うまでもないことでしょうが、
「JAPAiN」の語源は、「日本」の英語表記 JAPAN と、
「痛み」を意味する pain とを掛け合わせたものです。

それにしても、痛々しいというか、何というか...。

NIKKEI NETの該当記事
ウェブ魚拓によるキャッシュはこちらです。

また、「ランダムウォークな日々」というブログの
今週のThe Economist の特集は"JAPAiN"
というエントリーに、表紙写真と
「まとめというか、感想のようなもの」が出てます。

さらに、「池田信夫 blog」の
なぜ日本は失敗し続けるのか』というエントリーに、
要約記事の日本語訳と思われる文章があります。
#それを読んだ限りでは、この特集を書いた人々は、
#市場経済万能主義に近い立場のように思えます。


私個人としては、市場経済万能主義・自由放任主義で、
何でもうまくいくと考えるほど楽天的にはなれません。
#そこにあるのは、19世紀的な、
#不平等な競争条件下での、
#単なる形式的な「機会の平等」でしょう。

でも、「結果の平等」などという、
共産主義みたいな考え方は、嫌いです。
個人的な好き嫌いの問題はさておき、
そんな考え方では上手くいかないでしょう。
#上手くいかないと私が思う理由は、最後まで
#読んでもらえれば、わかって頂けるかと思うのですが...。


その両者の中間の「競争条件の実質的平等」
あたりがちょうどよいと、私は思うのですが、
なかなか説明するのが難しいものです。

金やコネの有無、あるいは運の良し悪しで、
競争条件に大きなハンデがつかない条件で、
生存競争をやって、
能力と努力とで他者に抜きん出た者は
社会的成功を掴む。
人並みの能力と努力の人は、
人並みの生活を送る。
怠けた者は、淘汰される。
でも、怠けてて生存競争で負けそうになっても、
改心すれば挽回できる。

国家は「金やコネの有無、あるいは運の良し悪しで、
競争条件に大きなハンデがつかない条件」の整備
(例えば、公教育の充実、犯罪・災害の損害の回復、
出身地のハンデを埋めうる交通・通信手段の整備など)や、
不正な手段(犯罪など)で生き残ろうとする者の
阻止などには、最大限の責任を負う。
#本当は、「怠けてて...負けそうになっても改心すれば
#挽回できる」環境の整備も国家に期待したい
#ところだけど、実のところ、そうした環境が
#整備されるか否かは、国とかより
#雇用者側の意識の問題であるように
#思えてなりません。そこのところは、以前に
#『雇用対策法の改正?』で
#書いたことと重複しますが。

そういった世の中であってほしいと
私などは思うのです。

更に言えば、「努力すれば成功できる、
怠ければ淘汰される」という状況下で、各個人
一人ひとりが己の能力をしぼり出すことが、
ひいては人類の進歩につながるのではないかと
私は思います。
「努力しても成功できない」あるいは
「怠けていても生きていける」という状況下に
あってもなお、能力を向上させていけるほど、
地球人が勤勉な生き物なら
別なのかもしれませんが。


が、どうも、「怠けた者は淘汰される」という部分は、
20世紀的な「福祉国家の理念」に染まった人や、
共産主義の影響を強く受けた人などには、
かなり抵抗があるみたいです。

ただ、「金やコネの有無、あるいは運の良し悪しで、
競争条件に大きなハンデがつかない条件」の
整備について、国家に最大限の責任を
負わせるのには、莫大な資金が必要です。
正直いって、怠けた者の救済なんぞに
国民の血税を1銭、いや1厘たりとも
回していられないと思います。


その反面で、市場万能主義に近い考え方の人は、
「金やコネの有無、あるいは運の良し悪しで、
競争条件に大きなハンデがつかない条件」の
整備に要する支出までも(日本の現状より)
更に抑制すべきだと考えているみたいです。
で、「セーフティーネットさえ整備していればいいだろ」と。
#「競争条件の実質的平等」を目指すよりも
#セーフティーネットの整備だけにとどめた方が、
#救済の対象を怠け者にまで拡大したとしても、
#財政的負担が軽くて済むというのは
#否定できませんし、金とコネを持った
#既得権の側の人々にとっては好都合でしょう。

ただ、その場合、金やコネがない家に生まれた人や、
あるいは災害や犯罪で重大な損失を受けた人は、
不平等・不合理な条件での競争を強いられ、
本人の能力・努力に関わらず、社会の底辺で、
ただ単に「セーフティーネット」にしがみついて
「生かされる」にすぎないことになってしまいます。
#個人的には、そういう社会は、
#「能力と努力で成り上がる余地がある反面で
#怠け者が野垂れ死にする社会」よりも、
#ひどい社会だと思うのですが...。

その点で、今の日本の政界やマスコミに、
「セーフティーネット」という言葉を多用する人が
増えてきているように思えるのは、どうか、
という気がします。
「セーフティーネット」という言葉を
多用する人の多くは、20世紀的な
「福祉国家の理念」に染まった人なのでしょうが、
この言葉が独り歩きすると、
市場万能主義による不平等な競争条件でも
「セーフティーネットさえ整備していればいいだろ」
という風潮になりかねません。
#別の言い方をすれば、
#経済「格差」の拡大が悪いのではなく、
#何によって生じた「格差」なのかを
#もっと重視すべきと思うのです。


しかも、今の日本に不足しているのは、
「下へ落ちないための網」ではなく、
「自分の足で上へ上がっていくための階段」
なのではないかと、私には思えます。
#そして過剰なセーフティーネットを維持するために、
#近年の日本では、この「階段」が狭められつつ
#あるように思われます。

最も端的な例は、司法修習にかかる国の財政負担の
増大を抑制するために導入された、新司法試験です。
この新司法試験は、ロースクールでの修学に耐えうる
資力を有しない者には、原則として受験資格を
認めない制度になっています。
この点についての今の状況は、
財力が受験資格要件とされない旧司法試験が
2010年までで廃止されることが決定されたこと
(口述の追試のみ2011年まで実施)など、
悪い方向を目指してまっしぐら、という状況です。
#詳しくは『来年以降の司試合格者数』などを参照。
しかも、今回の司法試験制度改悪は、
「怠けてて生存競争で負けそうになっても、
改心すれば挽回できる」環境の整備にも
逆行しています。

あるいは、公立の小中学校の授業内容が
削減されたために、大都市圏などでは、
私立進学校や進学塾とかに行かないと、
有名大学の入試に対応しうる教育を
受けられなくなったことも、能力的に劣った子に
セーフティーネットを張るために、
「自分の足で上へ上がっていくための階段」が
狭められたと考えることもできるでしょう。
確かに最近では、公立の小中学校のカリキュラムに
ついては、最悪の状態から脱しつつありますが、
まだまだ不十分です。
#詳しいことは、『必修科目未修について(壱)』や、
#『区立中の夜スペ』など、
#あちこちでもっと書いてます。


「JAPAiN」から、だんだん離れてきたので、
今回はこの辺りで。

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このブログ記事について

このページは、村瀬 泰一が2008年2月28日 23:51に書いたブログ記事です。

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