村瀬 泰一 どっとこむ

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2008年3月 6日 19:32における投稿のページです。

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裁判員制度の実施延期を求める決議

報道によると、新潟県弁護士会が
裁判員制度の実施を数年間延期した上で、
抜本的改正を図ることなどを求める
決議をしたそうです。

NIKKEI NETの該当ページ
ウェブ魚拓によるキャッシュは、こちらです。

先日、『三浦和義氏、逮捕さる。』の中で、
アメリカの陪審制について、

>まぁ、今でも「陪審制」などという野蛮な制度を
>維持してるような国ですから、
>「何でもあり」なのかもしれませんが。
>#などと書くと、「陪審制のどこが野蛮なのか?」
>#などというツッコミが入りかねません。でも、
>#(予断や偏見に流されないような訓練を経た
>#職業裁判官ではない)素人が、
>#被告人が真犯人か否かを、話し合いで
>#決める制度はやっぱり野蛮だと思います。
>#中世ヨーロッパの魔女裁判と同レベルでしょう。

と書きました。

裁判員制は、職業裁判官も有罪認定に
関与する点において、陪審制に比べると、
「野蛮さ」は緩和されています。
しかし、現行の職業裁判官のみによる裁判より
優れているとは、私には思えません。

「司法の民主化」を声高に叫ぶ人もいます。
しかし本来は、「司法の民主化」とは、
「民主的な手続きで制定された法律」を
司法機関が遵守することであって、
目の前の被告人が真犯人であるか否かを
専門的訓練を経ていない素人が参加する
話し合いで決めることではない、と思います。

たしかに、量刑の部分については、
世間一般の常識みたいなものを
もっと取り入れる余地があるのかもしれません。
ですが、被告人が真犯人であるか否か、
という事実認定については、
専門的訓練を経ていない素人の関与を
認めるべきとは思えません。

刑事訴訟法の原則の一つに
「予断排除の原則」というのがあります。
大雑把に言うと、
被告人が有罪であるとの予断をもって
裁判官が公判に臨むのを防止するべき、
ということです。
#詳しくは、検索すると、いろいろなサイトに
#書いてあると思います。

この「予断排除の原則」を実現するための
制度には色々ありますが、その代表例として、
「起訴状一本主義」というのがあります。
>起訴状には、裁判官に事件につき
>予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を
>添附し、又はその内容を引用してはならない。
(刑事訴訟法256条6項)というものです。
#「虞」は「おそれ」と読んで下さい。

予断や偏見に流されぬように職業的訓練を経た
職業裁判官による裁判においてすら、
このように予断排除のための手当てをすることが
憲法37条1項の要求する「公平な裁判所」の
実現に必要とされてきました。今までは。

これに対して、かかる訓練を経ていない素人が、
報道機関の事件報道に「汚染」された状態で
裁判員となった場合、どのような恐ろしいことに
なるのでしょうか。想像するだけでぞっとします。

日本のように、一般人のオピニオン形成への
報道機関の影響が強いと言われる国で、
裁判員制度のような野蛮な制度を実施した場合、
大手マスコミ幹部の
「この事件は、その被疑者が犯人ということで...」
の一言で、

  冤罪事件一丁あがり

と、いうことになりかねません。

重大事件発生後直ちに、マスコミが報道を始める前に、
その事件の被告人の裁判を担当する
裁判員を決めてしまい、
事件報道に「汚染」される前に
裁判員の身柄を拘束できれば、
裁判員制度においても
予断排除の原則は維持されうるかもしれません。
ですが、裁判員の人権という観点からは、
それが許されないのは言うまでもないことです。
#しかも、そこまでやったとしても、
#最初の被告人が冤罪で
#後になって真犯人が出てきたら...。

あるいは、報道機関に対して事件報道を
制限(というより禁止)すれば、
予断排除の原則は維持されるでしょう。
ですが、報道機関の報道の自由云々には
目をつぶるとしても、
事件の再発防止とか、
容疑者の身柄確保のために通報を求めるとか、
そういう刑事政策上の要請だけを考えても、
あまり現実的ではありません。

このように、裁判員制度には、憲法の要求する
「公平な裁判」を実現(あるいは維持?)する上で
大きな問題をはらんでいると、
私には思えてなりません。

せめて、被告人の側に、裁判員制度による裁判か
職業裁判官のみによる裁判か、選択できるように
なっていれば、まだ救いはあるのかもしれません。
ですが、風聞によると、近く導入される予定の
裁判員制度では、かかる選択権を
被告人に認めていないそうです。


冒頭で触れた、新潟県弁護士会の決議では
裁判員の負担の方に力点が置かれているようですが、
もう長くなったので、
裁判員に選ばれてしまった方々の負担については、
ここでは触れません。
ごめんなさい。
#そちらは多分別の機会にでも...。

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