1969年5月13日生まれの私にとって、
今年は40歳になる年、つうか、
誕生日すぎてるんで、なった年。
昔むかしのその昔、えらい人が、
「四十而不惑(しじふにしてまどはず)」と言ったとか。
孔子だったかな。
#日本人が稲作などというハイカラなことを
#まだ始めてない頃の人だから、すんごく昔の人。
#たぶん、邪馬台国の卑弥呼あたりよりも
#さらに七百年以上も前の人。
で、もって、40歳のことを「不惑(ふわく)」などと
いうこともあるそうです。
そんなことを、誕生日を2ヶ月も過ぎて
今さら書くのは何故かというと、
実は今日、国民健康保険の保険料納付書という
恐怖の書類?が届いてしまったからなのです。
しかも、こないだ40歳になっちまったので、
今回から「介護分保険料」っつうのも
ちゃっかり賦課されています。
いわゆる「介護保険料」ってやつです。
国民健康保険の保険料という制度は、
納付書についてくる「賦課の根拠」ってやつを
ちゃんと読んでる人にはわかると思うけど、
ずいぶん逆進的な制度になっています。
「均等割」ってのがあって、
その部分の金額は、所得の少ない人でも
問答無用にむしりとられます。
その一方で、「賦課限度額」ってのがあって、
どんな大金持ちでも、この金額を超えて
賦課されることはありません。
日本のマスコミと一部左翼政党は、
消費税を逆進的だなどと言っているようです。
しかし、消費税は、基本的にお金の支払い能力に
比例して賦課されるものです。
#非課税事業者とか免税点とかの例外はありますが。
それと比べると、「均等割」や「賦課限度額」のある
国民健康保険保険料は、さらに逆進的な
制度であると言えます。
しかも私のように、
「健康なときには病院に行かない。ましてや、
病気になって抵抗力が低下している時に
病院に行くわけがない。」
という感じだと、
つまり、怪我したときと虫歯のときにしか
健康保険のお世話にならないでいると、
毎年うん万円の健康保険保険料は
「税金」以上に「税金」っぽい性質を帯びてきます。
#つまり、負担と受益の対価関係が
#「税金」以上に希薄であるということです。
##そういや、私が病気で病院に行ったのは、
##いつが最後だったかな?
##私が高校生の頃だった、というのは
##確実なんだけれど。
ほんと、健康保険の保険料をゼロにして
そのぶん消費税を増税してほしいです。
#誤解のないように書いておきますが、
#窓口負担をゼロにしろ、とは言ってません。
#むしろ、いわゆる「コンビニ診療」の問題もあり、
#窓口負担をゼロにすることには私は反対です。
それが無理なら、「国民皆保険」などと
面妖なことは言わずに、
健康保険には希望者だけが入る、
という制度にしてほしいです。
それなら、一種の掛け捨ての保険と
割り切ることもできるでしょう。
#以前に『混合診療、東京地裁判決』で書いたように、
#「国民皆保険」というのがあまりにも面妖な制度なので、
#私などはあえて「国民怪保険」などと書くこともあります。
それでは、病院に行けなくなる人が出る、などと
言う人もいるみたいですが、
保険に入ってない人は、
窓口で全額自己負担すればすむだけの話です。
大企業のサラリーマンとかはどうか知りませんが、
うちら国民健康保険の加入者は、現行制度でも
窓口負担3割なんで、健康保険に入ってなくても、
現行制度の3倍余りしか取られません。
どのみち、今の制度では
混合診療が認められていないので、
命にかかわりかねない重大な病気を
根本的に治そうとすると、
往々にして全額自己負担になるし。
だったら、希望者だけが健康保険に入って、
「『安心を買う』ことのできる経済的に余裕のある人」から
「保険料を払っても元が取れるほどの病弱な人」への
所得移転を図ったほうがいいと思います。
ついでに、職業によって健康保険制度が違うことに
由来する、さまざまな不公平も一掃されて、
いいですね。
あと、一昨年に『年金と消費税率』で書いたことと
重なるので、ここでは細かく書きませんが、
基礎年金についても、保険料をゼロ、
つまり全額国庫負担にして、
そのぶん消費税を増税してほしいです。
#そうすると、今まで保険料をきちんと払った人と
#そうでない人とで不公平になるという論者もいますが、
#保険料納付実績に応じて年金給付額に差をつければ
#いいのです。
国民年金保険料については、
「自分が年取ったときに年金もらえるかどうか
わかんないから、保険料を払わない」
という人もいるそうです。
でも、私は、国民年金保険料は、
払えるんなら払っといた方がいいかと思います。
#国民年金保険料は一種の人頭税であり、
#しかも、2002年からでしたか、
#保険料免除の審査が杓子定規になったので、
#経済的に払えないのに、免除申請も通らない
#という人もいるでしょうが。
#でも、払えるんなら、払ったほうがいい。
だけど、健康保険の保険料については、
生活資金の資金繰りに困った場合に備えて、
私は保険料を「いつでも滞納できるように」
つまり、いつでも保険証(国民健康保険被保険者証)を
つき返して、短期被保険者証や被保険者資格証明書と
交換してもらえるように、
あえて、口座引き落としにはせずに、
わざわざ年8回(7月~翌年2月)郵便局の窓口で
払っています。
でも、健康保険保険料を払うときには、
「こんなもんに貴重なお金を使うなんて、
はっきり言って、血迷ってるな」
と思っています。
そう思いながらも、「惰性で」払っているのですから、
きっと本当に血迷っているのでしょう。
#旧司法試験にうかって、弁護士になれば、
#健保の保険料くらいは、たとえ掛け捨てであっても、
#正気を保ったまま払えるようになるのでしょうが。
実をいうと、父親が定年退職してしばらくしてから
父親の元の勤務先の政府管掌健康保険を離脱して、
両親は帰省先の健康保険に入ったみたいなのですが、
2年か3年くらい、私だけは無保険者だった時期が
あるみたいなのですが、
正直いって、あのころが懐かしいです。
十年くらい前に、当時の居所の市役所に
軽い気持ちで健康保険の加入申請を出したら、
恐ろしい金額の保険料納付書が後日送られてきて、
えらく後悔しました。
#無保険者だったころの分を上乗せしてきた、
#とかいうのではなく、1年分の保険料だけで
#当時の1年分の食費の2倍近くを、むしり取られました。
#当時の居所の健康保険の保険料は、
#今の居所の保険料よりも、もっと高かったのです。
##住んでる場所(正確には住民票の置場所)で
##保険料が違うというのも不公平な話ですね。
でも、きっと、今年も惰性で払い続けるんだろうなぁ。
血迷ってるよなぁ。
というより、「払い続けられればいいのだが・・・」
という話もありますね。
そうでなくとも、負担の重い健康保険保険料に、
介護保険料がのっかって、
3割以上負担が重くなっています。
#今年はまだ、誕生日が5月なんで、介護保険は
#月割りで少し安くなっています。
#しかし、来年以降はその分さらに高くなるのか、
#と思うと、ぞっとします。
私の居所の大家さんが消費税非課税事業者だと
いうこともありますが、私の場合でいえば、
介護保険料込みだと健康保険保険料の方が
消費税より明らかに負担額が重くなります。
#介護保険料を加える前だと、いい勝負です。
やっぱり、以前に『混合診療、東京地裁判決』の最後の方や
『年金と消費税率』で書いたような、
「社会保険料ゼロ、そのぶん消費税増税」というのは、
魅力的ですね。
最後になりましたが、前述の「不惑」の意味。
各自で検索なり何なりして、調べておいて下さい。
#私みたいに、四十にして血迷ってる身には、
#意味を書くのがちとはばかられます。
出典は『論語』だったかと思います。
#『論語』の中の「為政第二」というところだっけ。
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